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正法眼蔵(道玄) 珠玉の名言・格言21選

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ドラマ・書籍の名言
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1.

諸仏の境界は不可思議というほかはない。とうてい思慮の及ぶべきところではない

正法眼蔵

2.

われわれはもともと、無上の悟りを十分にそなえている。その悟りを永久に享受しているのではあるが、まだうなずくことはできないために、むやみに知的見解を起こすくせがついて、しかもそれが実在的なものと思うから、仏法の大道をむなしく踏みあやまる

正法眼蔵

3.

仏法ではもとより身と心とは一つであり、けっしてこれにそむいてはならない。それなのに。どうして身は消滅して心は常住などというのであろうか。正しい道理にそむくではないか。

正法眼蔵

4.

ありとあらゆるものが我とともに無くなったときには、まどいも悟りもなく諸仏も衆生もなく、生も滅もない。いっさいは絶対無である。

正法眼蔵

5.

自己が主体となって、環境世界を実証するのが迷いである。逆に、環境世界が深まって、そのなかで自己が実証されるのが悟りである

正法眼蔵

6.

仏道を習うということは、自己を習うことである。自己を習うということは、自己を忘れることである。

正法眼蔵

7.

人がはじめて法を求めるとき、実はかえって法のありかたを離れている。法が自分に正しく伝わったとき、たちまち本来の人となる。

正法眼蔵

8.

人が死んだのちには、ふたたび生にかえることはできない。しかし、生が死になるといわないのが、仏法のさだめである。それゆえに不滅という。生も一時のありかたであり、死も一時のありかたである。

正法眼蔵

9.

あらゆるものの在り方を学ぶには、円い四角いと見えるほかに、海や山の性質は限りがなく、さまざまな世界のあることを知るべきである。自分の身の廻りのことだけではない。足元も一滴の水もそうであると知らねばならぬ。

正法眼蔵

10.

修行によって体得したことが、自分の見解となって、それが分別で捉えられると思ってはならない。たとい悟りの究極はたちまち実現しても、内密の存在が、かならずしも実現しているわけではない。

正法眼蔵

11.

一たび枯(ひね)り、一たび放つ

正法眼蔵

12.

悲しむべきことは、かれらは、思念がそのまま言葉となっていることは知らず、逆に、言葉は思念を脱却していることも知らない。

正法眼蔵

13.

ありとあらゆるものは、いかなるものからも解放されていて、束縛はないけれども、しかもそれぞれの境位に安住している。

正法眼蔵

14.

いまの人も、いまの瓦を磨いてみるべきである。かならず鏡となるであろう。瓦がもし鏡とならなければ、人も仏となることはできない。瓦は泥土であると軽んずるならば、人もまた泥土であると軽んぜられよう

正法眼蔵

15.

諸仏は、ただこの神通のまにまに動くだけである。

正法眼蔵

16.

大悟は、自分のものでもなく、自分のものでもなく、他人のものでもない。外から来るものでもないが、すきまもなく充足している。

正法眼蔵

17.

もっともいましむべきことは、自分以外の他に随って大悟を求めることである。

正法眼蔵

18.

この身は一切の法から成り立っている。起こるときは、ただ法が起こるのであり、滅するときも、ただ法が滅するのである。この法が起こるときに、我が起こるとはいわない。また、この法が滅するときも、我が滅するとはいわない。

正法眼蔵

19.

赤心片片というのは、一念一念がみなはだかの心ということである。一念・二念とならぶのではない。一念一念がそれきりで素裸である。

正法眼蔵

20.

全世界はすなわち自己である。すなわち自己は全世界である。そこを避けて通る余地はまったくない。

正法眼蔵

21.

一念一念、一刹那一刹那である。その念念・刹那刹那がそのまま不生である。しかもそのままが「全体」であり、一切が顕わになっている。それゆえに「一念不生」というのである。

正法眼蔵