1.
真に果敢な人間は常に穏やかである。決して驚かされず、何物にもその精神の均衡を乱されない。
武士道
2.
戦場に飛び込み、討ち死にするのはいともたやすきことにて、身分の賤しき者にもできる。生きるべきときは生き、死ぬべきときにのみ死ぬことこそ、真の勇気である。
武士道
3.
真実と誠実がなければ、礼は茶番であり芝居である
武士道
4.
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。
武士道
5.
武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。
武士道
6.
本物の武士は「誠」を命より重く見ていたので、誓いを立てるだけでも名誉を傷つけるものと考えていた。
武士道
7.
優美さが無駄を省いた作法という言葉が真実なら、優美なる立ち居振る舞いのあくなき練習は、論理的にいえば、内なる余力を蓄えることにつながる。したがって洗練された作法というものは平静状態の無限なる力を意味する。
武士道
8.
武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり。
武士道
9.
わが国の礼儀作法の中には不必要なほどのくどさがあることを私も認めている。だが、西洋人のたえず変化する流行へのこだわりほど、馬鹿げているかどうか、私にはわからない。
武士道
10.
礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない
武士道
11.
武士の教育において第一に重んじられたのは、品格の形成であった。それに対して思慮、知識、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。
武士道
12.
勇気が人の精神に宿っている姿は、沈着、すなわち心の落ち着きとしてあらわれる。
武士道
13.
武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である。それはわが国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。いまなお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている。
武士道
14.
仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心をあたえた。具体的にいうならそれは危難や惨禍に際して、常に心を平静に保つことであり、生に執着せず、死と親しむことであった。
武士道
15.
鏡は人間の心を表している。心が完全に澄んでいれば、そこに「神」の姿を見ることができる。それゆえに人は社殿の前に立って参拝するとき、おのれ自身の姿を鏡の中に見るのである
武士道
16.
知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる。
武士道
17.
「義」は、武士の掟の中で、もっとも厳格な徳目である。サムライにとって卑劣なる行動、不正なふるまいほど忌まわしいものはない。
武士道
18.
人は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。節義さえあれば社交の才など取るに足らないものだ
武士道
19.
実に勇気と名誉は、ともに価値ある人物のみを平時の友とし、戦場の敵とすべきことを求めている。勇気がこの高さに到達するとき、それは「仁」に近づく。
武士道
20.
愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂がもつあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認められてきた。それは二重の意味で「王者の徳」とされている。
武士道
21.
仁は、優しく柔和で母のような徳である。高潔な義と厳しい正義が男性的であるとするなら、仁における慈悲は女性的な優しさと説得力を持つ。
武士道