1.
どのような悪人でも念仏だけで往生できる
親鸞
2.
もとより、罪業に形なし、妄想の為せるなり
人間の罪業はもともと本体があるものではない。とらわれの心によって真実でないものを真実であると誤って考え(妄想)、道理にそむくこと(顛倒)によって罪業はつくられるのである
親鸞
3.
人間というのは契機がなければ一人の人だって殺せないのだ。しかし、契機があれば百人、千人、殺したくないと思っていても殺すこともあるんだよ
親鸞
4.
一人居て喜ばば二人と思うべし。二人居て喜ばば三人と思うべし
自分と同じように思ってくれる人は、必ずいる
親鸞
5.
「凡夫」といふは、無名煩悩われらが身にみちみちて、欲も多く、怒り腹立ちそねみねたむ心多く、臨終の一年に至るまで止まらず消えず絶えず。
「凡夫」というのは、わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起り、まさに命が終わろうとするそのときまで、止まることもなく、消えることもなく、絶えることもない
親鸞
6.
なごりをしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり
親鸞
7.
よしあしの文字をもしらぬひとはみな、まことのこころなりけるを、善悪の字しりがほはおほそらごとのかたちなり。
よしあしという文字を知らない人はみんな、真実の心を持った人です。善悪の文字を知ったかぶりして使うのは、かえって大嘘の姿をしているのです
親鸞
8.
親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。
親鸞もこの心、疑問に思っていたのだが、唯円房おまえもか。
親鸞
9.
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり、愚禿(ぐとく)が心は、内は愚にして外は賢なり
親鸞
10.
一人いて悲しい時は二人いると思え。二人いて悲しい時は三人いると思え。その一人は親鸞なり
親鸞
11.
我はほどなく浄土に帰るなり。この世に言いおくこと一言もなし
親鸞
12.
1分前の歌声がもう古いと感じている
親鸞
13.
たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらう
たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔しないであろう。
親鸞
14.
明日ありと思う心の徒桜、夜半の嵐の吹かぬものかは
明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、そんなことはない。
親鸞
15.
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや
善人だって悟りを開くことができるのだから、まして悪人が悟りをひらき、彼岸に到達できないわけがない。
親鸞
16.
人の命は日々に今日やかぎりとおもい、時時(ときどき)に只(ただ)今や終わりと思うべし
人間の命は今日限りだと毎日思い、また人間の命は今すぐ終わりだと時々思うことが大切である。
親鸞
17.
非人を差別する者こそ、真の意味での非人である
親鸞
18.
薬があるからといって、毒を好んで飲むべきではない。
親鸞
19.
去るべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし。
もしそうせざるをえないような情況に置かれたならば、自分はどんなふるまいもしかねない、どんなに非道なこともやりかねない、
親鸞
20.
悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる
悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。だからたとえどんなよい行いをしても、煩悩の毒がまじっているので、いつわりの行というものである。
親鸞
21.
ひとのいのちみじかくもろし
親鸞