1.
よい運命になりたい。よい人と交わりたい。よい人と結婚したい。いろいろなことを私たちは願う。しかし自分の心の内容が悪かったら、悪いことに組み合わされるほかはない。何を願うよりも、自分の内容の入れ替えに努力すべきだと思う
常岡一郎
2.
人間個人の運命の根は心である。そして、その心の根となり、いのちの根となるものは、親である。親の心を伸ばし、親のなやみを消し、親の苦しみをひきうける。そこに子孫の伸び栄える道がある
常岡一郎
3.
宝を見つけて歩くより、宝とつり合う自分をつくることの方がより大切である。目や耳や手足のように、自分について歩くものは運命である。自分から1分間もはなれないものは自分の能力である。これがりっぱであることが一番宝をもっている人といえる
常岡一郎
4.
引きしまった緊張と、ゆったりしたユーモア。この2つで人生の事は無理なく運ばれて行きます。ユーモアのない人生、ゆとりのない性格は疲れやすいものです。折れやすいものです。
常岡一郎
5.
人が育ってゆくためには鍛練が必要です。油断の出来ない程ハリ切って全力をしぼる。全身全霊をしぼりつくして初めて次の立派な成長が生まれる。いのちがけで戦う。勝負する。野球でも、相撲でも、学問研究でも、発明でも、必死の鍛練から生まれている
常岡一郎
6.
他人の幸福が光っている。それを消して自らの幸福がふえるものではない。他人の光を消して自らの幸福感を増すのではない。他人に幸福の光あれと祈りながら、自らの幸福の光が強くなるのである。与えながら自らも与えられる。これが幸福の光を増すのである
常岡一郎
7.
すべての人が幸せを求めている。しかし幸せというものはそうやすやすとやってくるものではない。時には不幸という帽子をかぶってやってくる。だからみんな逃げてしまうが、実はそれが幸せの正体だったりするのだ。
常岡一郎
8.
人生の嵐は多い。思いもかけぬ不幸にも出合う。誤解されることもある。だまされることもある。病みわずらうこともある。すべては人生の嵐である。その中に処する道は、自分の上機嫌を失わぬこと、妙にかたくならないことである。
常岡一郎
9.
親の好きな笑顔、その笑顔を生む上きげんの心、人間は常にこれを赤ちゃんに学ぶべきである。欲のない無心の生き方、そこに天地の大愛から充分に守られる資格が出来るように思う
常岡一郎
10.
太陽は丸い。地球も丸い。天体運行の道も丸い。木も人間の手も胴も丸い。円満こそ大自然の道である。運命の豊かさを生む道がそこにある
常岡一郎
11.
なるほどと得心がゆけば、大切な生命も金も物も捧げる。手放す。これが人間の尊い一面である。淋しいこと、悲しいこと、苦しいことも、なるほどとはっきりうなずけば、艱難の中にでも飛びこんで行ける。
常岡一郎
12.
冷たい我利我利の人は、真心の人とはいえない。純情な、生き生きとした没我の心、これが真心である。
常岡一郎
13.
愛欲のとりこになってはいられない。欲を認めながら、尊びながら、なお溺れず狂わぬ人間性を向上させる。
常岡一郎
14.
お客がこなくなったら、きっと自分の店に何かが足りなくなっている。よい品が足りないか、感謝が足りないか、奉仕が足りないか、そのいずれかである。それを教えてくれるのが不振ということである。
常岡一郎
15.
貧乏を嫌がるより貧乏と縁のない人間になる。これが大切である。貧乏人は金がないから貧乏しているように思える。しかし貧乏とつり合う人には金は集まらない。金が逃げて行く。あせるほど逃げ足が早い。
常岡一郎
16.
人間の主体はあくまで心である。人格である。心に真実をつみ上げて行くことが、自分を育てる道である。
常岡一郎
17.
国を守るのも人。政治を行うのも人。農事も商売も人がする。英雄も学者も凶悪犯人もまた人である。世の中を組み立てるのも人。動かすのも亦人。一切の根本となるものは人である。
常岡一郎
18.
どんなに大切にしても、24時間すれば今日1日と別れねばならない。それならば、より鮮やかに尊いことのために行きたいものである。自分を鍛えておきたいものである。
常岡一郎
19.
生きていることのありがたさは、死ぬことが与えてくれる。
常岡一郎
20.
とにかく人を喜ばせてあげなさい。泣く人の涙を拭いてあげなさい。人の心に灯をつけなさい。
常岡一郎
21.
人間関係でも相手が悪いように思うだろうが違うんだよ。自分の不徳の姿が相手に映って跳ね返ってきているんだ。
常岡一郎