1.
作曲家は、まず誰よりも聴く側に立たなければいけない。
武満徹(作曲家)
2.
今聴こえてない音をね、聴き出したい。音を組み合わせて音楽を作るっていうんじゃなくて、ふと何かある音を聴き出したいなっていう気持ちが強いです
武満徹(作曲家)
3.
いまだに器楽とかオーケストラとか室内楽とか、そういうものを書いているのは、やっぱり、想像もつかないような出会いをもしかしたら、生きた人間たちが演奏すれば、それはできるかもしれないと思うからなんです
武満徹(作曲家)
4.
教育とは〝他者〟を正しく知らしむべきものである
武満徹(作曲家)
5.
人工的なスタジオという空間で、不自然な音の調合をすることに慣れてしまうと、聴感はひらけるどころか、退化して行くように思えてならない。
武満徹(作曲家)
6.
音というのは不思議なものだ。生まれては、直ぐ、消える。そして、ひとそれぞれの記憶の中に甦える。音は消えてゆくから、ひとはそれを聴き出そうと努める。そして、たぶんその行為こそは、人間を音楽創造へと駆り立てる根源に潜むものだろう。
武満徹(作曲家)
7.
ぼくは絵が好きだから、絵を描いてその上に水を散らし、そこにインクを落とす、するとインクが思いがけない運動で思いがけない方向へ散ります。それと同じように音を追いかけるときに、ほかの音がもっとにじみ合ったりすることがないものか、というようなことを考える。
武満徹(作曲家)
8.
ジャズは生命を証すものなのだ。だから、ジャズの音楽的特性である即興の方法が、最もジャズ・スピリットにかなったものであるのはいうまでもない。
武満徹(作曲家)
9.
“音”というものは、例えば、ドレミのドの音とはいえ、オーボエが吹くのと、フルートが吹くのとではまるで違うものです。”音”自身を生きたものとしてとらえるといういい回しは、必ずしも適当ではないけれど、ひとつひとつの”音”には全く違った運動があります。
武満徹(作曲家)
10.
自分はなぜ音楽をやっているのか、というと、音楽を通して他と結びつきたいという気持ちがあるからです。
武満徹(作曲家)
11.
音楽は、自分が音符を書き表したら、それですべてが終わってしまうというものではなく、それをだれか他の人に演奏してもらうか、あるいは自分で演奏しなければならないのです。そして、そこに聴衆がいなければ、本当の意味で音楽は成就しないわけです。
武満徹(作曲家)
12.
オーケストラは百人程の音楽家が一堂に会して演奏するわけですが、その素晴らしさは、一人一人音楽的にも違う考え方や異なる日常生活をしてる演奏家が集まって、しかも一人の指揮者の元に、ある共通のなにものかを表現することだろうと思います。
武満徹(作曲家)
13.
音楽というものの根本を考えれば、それはある意味では、未分化の挙動というか、生の挙動そのものだともいえましょう。それは、泣いたり、笑ったり、あるいはクシャミをしたり、というようなこととも深いつながりをもっているだろうと思います。
武満徹(作曲家)
14.
背中は飾る事が出来ないから、指揮者は聴衆の前に己の全てを曝(さら)すことになる。
武満徹(作曲家)
15.
音楽がわからないというひとは、たぶんいないだろうと思うのです。なのに音楽がわからないというのは、専門的な知識がないと理解できないというような先入観や思い込みがあるからです。
武満徹(作曲家)
16.
私が奇異に感じるのは、かなり知的な人の「私は全く音楽がわからない」という言葉です。音楽というものをわかるとか、わからないという次元で問題にしている態度こそ、実は私にはわからないのです。
武満徹(作曲家)
17.
音楽はつねに完結することなく、変化しつづけてゆくものです。
武満徹(作曲家)
18.
聴く人の期待を裏切るにせよ、音楽をやるしかない。
武満徹(作曲家)
19.
いまだに外国で「日本人なのになぜ西洋音楽をやるのか?」と質問されて、よく居心地の悪い思いをします。日本人が「能が外人にわかるわけがない」と言うのと同じです。でも、日本人だって能を観てもわからない人もいれば、フランス人だってドビュッシーがわからない人もたくさんいます。
武満徹(作曲家)
20.
音楽の勉強と言えば、ラジオを聴くことと、楽譜を眺めることしかない。楽譜の書き方も作曲もどうしてできるようになったのか、不思議な気がします。
武満徹(作曲家)
21.
演奏技術は教えることができるし、その教育も必要です。しかし、作曲を教えることはできないと思います。ソナタ形式とか、交響曲とか、西洋音楽が歴史的に創り上げた形式の概観を教えることはできるでしょうが。
武満徹(作曲家)



