1.
“歌を歌おうとすると難しい”んですよ。 歌は詩が絶対だと思ってますので 詩を理解して語ってあげれば、それは そのままメロディになるんです。
五木ひろし
2.
先輩たちが歌われた いい歌を次の世代へ継承していきたい。 その役目と、自分自身が新しいものを作り上げていく。 この2つをずっと自分のテーマにしてきました。
五木ひろし
3.
人生の“重み”というか“深さ”が 演歌にはあると思いますので、 ずっと大事にしていきたい
五木ひろし
4.
僕のライバルは、僕
五木ひろし
5.
正直なところを打ち明けると、歌手としての僕のピークは30~40代です。あのころ、一番声が出ていました。30~40代の自分にどれだけ近づけるか。限りなく近づける日もあれば、なかなか思うようにいかない日もあります。それでも、常に最大限の努力を自分に課しています
五木ひろし
6.
デビューしてから売れない時期はありましたけれど、自分の歌唱力に疑問を持ったことは一度もありませんでした
五木ひろし
7.
あの頃の歌謡曲のスタジオでは、作曲家、作詞家、編曲家をはじめ、そこにいるスタッフがOKを出したら終了でした。
だから、レコード化されている『よこはま・たそがれ』には今も満足していません。歌手として未熟に感じるからです
五木ひろし
8.
歌手が売れなくなるのには3つの理由があるという。①キーを下げる。②リズムを崩す。③1曲の歌唱時間を延ばす。
五木ひろし
9.
ジャズも、ブルースも、フォークも、演歌も、どんなタイプの音楽でも歌える歌手として、僕は誰にも引けを取らないという自負はあります。自分で自分を最高と思えなければ、半世紀以上も歌い続けられません
五木ひろし
10.
1曲、2曲ヒットが出る。それはそれで価値のあることだとは思います。ただ、僕は何十曲もヒットさせてきました。50年以上ファンの方々を飽きさせずに歌ってきた。次も聴きたい。今度もいい歌だ。そう思っていただけてきた。そこに誇りを感じています
五木ひろし
11.
紅白歌合戦へ50回連続にももちろん名誉を感じていますが、その50回のうち41回をその年リリースした曲を歌ったことにも僕は誇りを覚えます。毎年のように新しい曲を歌い、日本中の人に聴いていただいたわけですから。
五木ひろし
12.
僕が歌ってきた音楽は歌謡曲、流行歌です。ファッションのひとつです。時代に添ったものでなくてはいけません」
五木ひろし
13.
結婚したとき、子供ができたときなど、節目節目で僕は自分の思いを書き留めていましてね。それを作品にしています。
五木ひろし
14.
よく、“人”という文字を書いて、たがいに支え合っていると説く人がいますよね。僕はそうは思いません。“人”という文字はね、左右でガチッと組み合い、闘っているんですよ。人生とは生き残りをかけた闘い。
五木ひろし
15.
僕が生まれたのは戦後のベビーブームでしてね。もの心ついたときには、すべてが闘いでした。学業も闘い。スポーツも闘い。食べるのも闘いです
五木ひろし
16.
厳しい体験を積み重ねると、勘が働くようになります。勘というのはね、単なるひらめきではありません。体験が多ければそれだけ判断材料が増え、勝負どころがわかるようになります。
五木ひろし
17.
『全日本歌謡選手権』で10週間勝ち続けるのは並大抵ではありません。出演するのは歌手として生きるか死ぬかの勝負です。重鎮の審査員だけでなく、全国の視聴者の見る番組で敗北したら、歌手生命を断たれます」
五木ひろし
18.
歌への思いは誰にも負けないと思っていた
五木ひろし
19.
本気で勝負するとき、男は逃げ道をつくってはいけない。銀座の店も、新宿の店も、クラブ歌手の仕事は全部辞めて臨みました。負けたら歌手生活は終わり。毎週、覚悟を決めて歌いました
五木ひろし
20.
いつも、自分の持つすべてを出し切って好きな歌を歌うだけ。すべてをかければ悔いはない。
五木ひろし
21.
歌手の評価は、最後は大衆に委ねる。それは不変です。僕は常々、歌手は大衆があってこそ、聴く人があってこそ、と言っていました。それは真実でした。
五木ひろし